「お金を払ってなんでストレスが溜まるんじゃい」の話
（２００２年３月）

サナアにおける他の外国人家庭のように、我が家にも住み込みの門番さんがいます。｢住み込み｣といっても実際に一緒の家に住むのではなく、同じ敷地内の小屋に彼らは住んでいるのですが、それにしてもプライベートな場所に、全くの赤の他人がいることには変わりがありません。その点が私にはちょっと不安でした。

実際にこの一軒家に引っ越して来た時には、既に大家さんの親戚だという青年が門番としていました。正直言って、彼の最初の印象は、−私にとってだけでなく、夫にとっても−、あまり良くありませんでした。というのも、彼が美男子とは言えない容貌だったからかもしれません（外見で人を判断してはいけないんですけどね）。しかし、かといって他に心当たりがあるわけでもなく、大家さんも取り敢えず彼を雇ってみて、やっぱり駄目だとなれば、その時に他の人を探せばいいと言います。私たちはその助言に従うことにしました。

彼の名前はアブドゥラといいます。パッと見は何となく胡散臭そうでしたが（度々ごめんなさい。でも本当にその時はそう思っていたのでした）、ところが、あにはからんや、彼はとても働き者でした。イエメン人にはとても珍しいタイプで、無口ですし、言われたこと以外のことまで率先して、つまり自分で仕事を見つけて、せっせと働くのです。｢おやおやおや！｣と私たちはびっくりです。やはり外見で人を判断してはいけないんだと改めて納得しました。

そうして平穏に月日は流れました。唯一つのことを除いて。それはアブドゥラ自身のことではなく、我が家の庭の水の出が良くないということでした。

庭の芝生への水やりも門番さんの大事な仕事の一つです。夏の暑い盛りには、朝と夜の涼しい時に水撒きを彼にお願いしていました。ところが、この家では、台所で水が使われると、庭の水の出が途端に悪くなります。そうなると折角ドバイで買ってきた散水機も役に立たなくなり、また晩ご飯の支度時に庭の水撒きが始まると、私がイライラするという羽目に陥るのでした。しかしながら、家の構造の問題ですので、私たちにはどうにもできず、そのように彼にも説明していたのですが、水撒きは毎日のことですから、彼も相当イライラしていたのだと思います（今にして思えば、の話だけど）。

そして、３月のある日。
よりによって夫が３泊４日の出張に出掛けた日の午後、突然実家に帰ると言い出しました。彼は英語をほとんど話せず、私のアラビア語もお買物程度ですから、細かいことは分からないのですが、｢マーフィッシュ・マー（水がない）｣ということが理由のようです。私はといえば、｢それが理由で仕事を辞めるのか？｣という驚きと、｢主人のいない家に女性を一人で置いていくか？｣という思いでした。通訳になる運転手さんのアデルは帰宅していたので、｢明日アデルが来てから話し合おう｣とも言ったのですが、彼は全然聞く耳を持ちません。すったもんだの末、結局彼は出て行きました。

それから私は一番信頼している日本人のご夫妻に連絡を取り、事情を話しました。そうしたら、そこの家の門番さんが泊まりに来てくれることになりました。申し訳なく思いつつも、ほっとしました。

翌日アデルが来て、前日の事件を話したら、｢彼は最近様子が少しおかしかった｣とアデルが言います。部屋の中のテレビが勝手についたりするとか、自分の貴重品箱をアデルがいじったのではないかとかなどなど。｢神に誓ってそんなことはしていない｣とアデルは言い、彼自身もアブドゥラを弟のように可愛がってきただけに、そういった疑いの目で自分が見られたことに随分とショックを受けた様子でした。

と、その午後。突然アブドゥラが｢もう１回働かせて欲しい｣と戻ってきました。アデルが理由についていろいろと訊いてもはっきりとした答えは返ってきません。取り敢えずは、最終的な彼の進退は夫が帰ってきてから決めることにして、彼に再び門番小屋に戻ってきてもらいました。

翌日は静かに過ぎ、その次の日。私が出先から戻ってきたら、突然｢ビールをくれ｣とアブドゥラが言うのです。ビールはアラビア語で｢ビーラ｣と言いますが、そんな単語は滅多に聞きませんので、一瞬何のことか分かりませんでした。ご存知の通り、イスラムではアルコールはご法度ですから、私はびっくり仰天です。あまりに予想外のセリフで｢度肝を抜かれる｣とはこのことでしょう。普段でしたら決してそんなものはあげませんし、即刻クビにするところですが、私一人ですから、彼に逆らって下手に怒らせるのも避けたかったので、小瓶のビールを１本渡しました。

ところが、渡したら渡したで、彼にとっては恐らく生まれて始めてのアルコールであると思い、酔っ払って暴れ出したらどうしようとたまらなく不安になりました。玄関のドアや窓は勿論、家の中に万が一侵入されても、簡単には私たちの寝室に到達されないようにと、家中のドアにも鍵をかけました。そして、先回門番さんを派遣して下さった日本人家庭の電話番号を短縮にセットして、ベットに入りました。そして、門番というものは｢番｣という字のごとく、雇い主の安全を守ることも大切な仕事の一つのはずなのに、なぜその門番にこんなに脅かされなければならないのだと、猛烈に腹が立ったのでした。

まんじりとしないまま夜を過ごし、ようやく朝の６時に待ちに待った夫が帰ってきました。夫には電話で大体のことを話してありましたが、夫はまずは仕事に行かなくてはならないので、話し合いは夜までお預けになりました。

夫が帰ってきてくれたことで私も少し落ち着き、アブドゥラに理由を訊いてみました。｢庭の水撒きの時に水が良く出ないから｣と言うのですが、｢そんなことで？！｣って思いませんか？　それから私は買物へ出かけたのですが、帰ってきたらなんと、彼は荷造りを済ませていて、｢今から出て行く｣と言うではありませんか！　｢今出て行くのならば、今までの分のお給料はなしにするよ｣と私が言ったところ、しばらく考えてから｢いらない｣との返事。ここまで来ると｢もう勝手にしなさい｣です。結局本当の理由は分からないまま、アブドゥラは去ってしまいました。

その後も、よくある展開ですが、｢もう一度働かせて欲しい｣と言ってきたり、｢３月分の給料を貰いたい｣と言ってきたのですが、私たちはすぐに新しい門番さんをお願いしました。そしてしばらくは、仕返しとして、庭に犬や猫の死体が投げ込まれるのではないかとか、水タンクに毒を入れられるのではないかと、心配していましたが、杞憂に終わりました。



話はそこで終わりません。
今度はその１週間後に、突然運転手さんのアデルが、新しい仕事が見つかったと知らせてきました。

その新しい職場では、恐らく私たちが払っている額の３倍ぐらいのお給料でしょうし、雇い主も我々のような個人ではなく、カナダの石油会社なので、人が替わる度に職を失うのではないかといった不安から解放されるので、アデルにとっては良いことだと、私たちは基本的には喜んでいます。

ただ、その辞め方が問題で、突然｢今日の１時半から新しい職場で働くことになった｣と言うのです。よくよく話を聞けば、その前日に面接があり、普通はその１週間後ぐらいに結果を通知されるのですが、すぐに採用という話になりアデル自身も驚いたとのこと。

夫は｢私は今日本人のところで働いています。つきましては彼らと話をしたいので、１日時間をください｣と言える筈、というか言うべきだったと言います。｢俺たちに前もって何の話もなく決めてくるとはどういうことだ！｣とカンカンで、結局アデルとはその後２度と会おうとはしませんでした。｢自分のことしか考えないで。イエメン人ってこうなのかな｣と怒りプラスがっかりという様子でした。実際彼とはそれまでうまく付き合ってきましたからね。

・・・とまあそんなこんなで、誰かを雇うことの難しさ、他人との付き合いの難しさを考えさせられた一連の出来事でした。それにしても、−尊大な言い方になることをお許し願いたいのですが−、私たちの生活をより快適にする為にお金を払ってお願いしている人たちから、どうしてこうもきりきり舞いさせられるのだと、納得がいかない私なのでした。それとも、郷に入っては郷に従えという諺どおり、私たちが自分たちの価値基準で、これらのことを判断することが間違っているのでしょうか？　あるいは外国人と働く以上、それらの常識をイエメン人にもきちんと守ってもらうべきだと考えてもいいのでしょうか？？